田舎で体験したことと想い出

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鹿児島帰省2日目は朝から母方の田舎へお墓参りに行ってきました。実は毎年4月29日が母の母親(僕からすると祖母)の命日であるため、ゴールデンウィーク初日は決まって田舎へお墓参りに行っています。

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幼少期からの習慣

僕がものごころついた時から毎年欠かさずに行っている恒例行事の一つで、小さい頃は田舎に行くことが楽しみの一つでした。田舎というと『なにもない場所』と思われがちですが、僕の祖父は百姓の家の生まれということもあり山や川など自然が多い場所が田舎だったため、日常生活では体験できないようなことを経験させてもらうことが多くありました。

帰省時は祖父の兄の家に向かい、そこには普段合わないような親戚が寄り合い、大人たちは法事ついでにお酒を酌み交わし、子どもたちは山に入ったり、家の裏山にある防空壕で遊んだりしていました。そんな中でも特に印象に残っていることは、祖父に連れられて筍掘りや柿ちぎり、蕗採りに行ったことです。

筍は竹林の中に入るべし

山を持っていた祖父は鉈を振りかざし、竹林を進み、筍を見つけると足で折って採っていました。小さい頃からおじいちゃん子だった僕は、小さいながらに祖父の跡をついていき筍を採るまねごとを良くしたものでした。もちろん小さい頃の僕は非力なわけで祖父のようにうまく筍を採ることができませんでしたが、祖父が小さい僕に手取り足取り筍を採る方法を教えてくれていたのを思い出します。

柿ちぎりは危険!?

若い頃の祖父は木登りが得意だったらしく、秋ごろになると良く柿ちぎりに連れていってくれました。おじいちゃん子の僕はもちろん祖父の跡をついていき柿ちぎりにも参加していました。ある日、僕も祖父の真似をして柿の木に上ろうとすると「危険だ」と怒られた記憶があります。その時はなぜダメなのか理解はしていませんでしたが、今思うと柿の木は脆いため落ちて怪我でもしたら大変と思ったのでしょう。今でも実際に上ったことはありませんが祖父の教訓として柿の木には上らないようにしています。

今は好きな蕗

地面に生えている蕗を採りに行ったこともあります。採取した蕗は祖父の家へ持ち帰り、祖父が蕗の皮を剝き、手が真っ黒になっていた記憶があります。これは僕も手伝わせてもらったことがありましたが、僕の場合は手だけでなく洋服も黒く染まってしまいました。それを祖母が調理して夕食の和え物として食事に出ていました。小さい頃は蕗のおいしさには気付かず全く手を付けていませんでしたが、今では喜んで食べるようになりました。

今では体験できないことばかり

田舎で体験させてもらったことはこれだけではなく、古くから行事として残っているものはほとんど体験させてもらったのではないでしょうか。祖父母は既に亡くなっていますが、今も生きていれば僕の子どもたちにも同じような体験をさせてくれたのだろうなと感じる時があります。僕がこれまでに体験してきたことをどれだけ子どもたちに伝えることができるのかわかりませんが、祖父母から教えてもらったことを一つずつ大切に伝えていきたいと思います。

肝心な墓参りは…

今も田舎へ墓参りに行っていますが、祖父の兄もなくなり家には誰もいないので家の庭に建てられたお墓に線香をあげ手を合わせるだけとなってしまいました。祖母が眠っている墓の近くに親戚が住んでいるため、顔を出していましたが既に足腰が悪くなり痴呆も出てきて僕らのことがわからなくなっているようで、ただお墓に行き手を合わせて帰るだけとなりました。

僕の記憶の幼少期とは5歳~10歳前後の記憶の為、そこから考えると30年ほど経過していることになります。僕の母や叔母も70歳前後となっていることを考えると、自然なことなのかもしれませんが田舎は懐かしい反面、寂しい場所になりつつあると感じています。

鹿児島から福岡へ戻る車の中で奥さまと「いつまでお墓参りするつもりなの?」と聞かれ、「わからないけど、僕が(お墓参りに)行ける間は行きたい」と答えました。実際にいつまでお墓参りをするかなんて全く考えていませんが、出来る限り家族の行事として参加していきたいなと改めて思いました。

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